トラウマ解消・自分軸フィーリングメゾトの
あおき まゆです。
当サイトへご訪問頂き、ありがとうございます。
セラピスト・コーチの あおき まゆ です。
専門的なカウンセリングやコーチングを受ける、解決に向けて相談者であるあなたと私との相性がとても大切になります。
あなたがこれまでに感じてきたこと。または今抱える問題を話す時、目の前の人はどんな人だろう…?って不安になることはありませんか?上手く話せなくても、安心感を持てることが何よりも大切と考えています。
ですので、ご相談者様にできるだけリラックスしてお話しして頂けるよう心がけております。
そんな意味も込めて、少し長いですが、私を知って頂くために経歴や生い立ちについても書いてみました。どうぞ、お時間を作ってゆっくり御覧くださいね。
「お前はグズやな!アホやな!」と叱られていた幼少期
私は幼稚園の頃から砂場で基地を作ったり、粘土細工をするなど、創造的な遊びが大好きな子供でした。
だけどノンビリした性格だった私は、同学年と同じペースで後片付けをしたり着替えをすることができませんでした。そんな私にいつも父は「お前はグズやな!アホやな!」と言って怒っていました。
父はプライドが高く、思うようにいかないことがあると大声を出したり、手を挙げることもあってとても怖い存在でした。
小学校1年生のある日、突然の母の家出
小学校1年生のある日、父の暴言や暴力が原因で私達が知らないうちに母は家を出て行きました。
兄と私が寝静まった後、時々父の声や母の泣き声で目が覚めることがありました。父は怒りだしたら歯止めがきかない人でした。なので私は母の家出をしても「それはそうなるよね。母が可哀そう。仕方ないよね…」と思っていました。だけど、この頃はそれが淋しいと感じてはいなかったのです。これは心理学を学んだ今なら分かるのですが、人は現実を受け止めることが辛すぎる場合、「辛さを感じないように」「心が壊れてしまわないように」と防衛本能が働き、現実から目を背けるという本能が働くそうです。
母が居なくなった後の父は、子供だけの家に帰るのが淋しかったのでしょう、家に帰らない日が度々ありました。そして私が高学年になるころ、今度は私に対する兄の暴力が始まり私は不登校になってしまいました。
そんな状態の家庭でも、私にとって父や兄は大切な存在でした。なので、周りから変な家族と思われるのが嫌で、現状を誰にも相談することができませんでした。
「誰にも邪魔されず自分の人生を歩める喜び」を知った高校時代
そんな中学時代が終えるころ、父の知人の紹介で、寮生活を始めることになり、高校に進学しました。そして卒業すると、今度は働きながら夜間の短大に進学することにしました。仕事と学生の両立はまだまだ若いわたしにとって、毎日とても忙しく大変な日々となりましたが、身勝手な家族に振り回されていた辛い生活から「自分の人生を誰にも邪魔されずに自分の足で歩める」という幸せを初めて味わうことができました。
そんな充実した学生生活も卒業を迎えるころ、今度は社内で主人と知り合い結婚が決まりました。
夢にまで見てやっと手に入れた「暖かい幸せな家庭」それは幻想だった
幼少期に幸せとは言えない家庭で育った私は、当然のように「暖かい家庭」「両親が揃った幸せな家庭」に強い憧れや願望を持っていました。
「暴力を振るわない彼なら、きっと幸せになれる。」そう思いました。
当時の幸せのイメージというは「両親が揃った幸せな家庭」でした。
今思うとそれは「中身の無いただの幻想」だったのだと思います。なぜかと言うと、「幸せな家庭ってどのようなものなのか?」というその答えを持っていなかったのです。ただただ漠然と「お父さんとお母さんがいる」というイメージだけなのです。
でも、それだけじゃ「幸せを掴む」ことはできないんです。
例えば、旅行に行くとします。その旅行に目的地がハッキリしているから、その場所にたどり着くことができます。目的地がどこに行くのかも具体的にわからず、漠然としていたなら、ただ迷子になってしまうだけなのです。目的地が明確で、どんな事をして楽しむのかも明確なら、そのために必要な事や時間を有効に使えたり、それを楽しむことができますからね。
「幸せになる」のは旅をすることと同じで、具体的なゴールイメージが必要になります。それは「自分が何が好きでどんな事が嫌いなのか?」を知っていることがまず必要です。他の誰でもなく「自分の好き」を理解していることが大切になんですね。
だけど、その頃の私は自分の「好きなこと」や「嫌いなこと」など考えたことなどありませんでした。
自分の事より「他人に私はどう思われているのか?」と、いつも自分を後回しにする「他人を軸にした考え方」をしていたのです。そして、自己イメージはと言うと「自分はダメな人間で、自分以外の人は優秀」という思考を持っていました。
これは「お前はグズやな!アホやな!」と幼少期から私をダメ人間として扱っていた父の刷り込みが大きな影響を与えていたのでした。
幸せになるための結婚…だけど、ほころびが見え始め
父は私の人格自体を否定していたので、その影響によって、「自分は間違っている」という感覚があり、主人に対して僅かに感じた「何かおかしい…」という感覚をキャッチできず、自分の感性に自信がなくて、自分の感覚に蓋(見ないことにする)をていたのです。
これも幼少期に「生きていくために備えた生存戦略」と言えます。子供は親に見捨てられるということは「死」を意味します。それを幼いながら本能で知っているのです。「いい子でいると父は怒らない。見捨てられると生きられない。だからいい子でなければならない。」と言葉にできなくても知ってtるのです。
これを繰り返すことで、その考え方が癖になってしまい、ものの見方が歪んで見えて、大人になっても正しい見方ができなくなってしまいます。
「お父さんとお母さんがいる家庭が幸せな家庭」そんな中身の無い幻想を持ち、夢をみて結婚生活はスタートしたのですが、そんな生活にはやはりホコロビが見えはじめます。
結婚後、家計管理は私がすることになりました。お給料から必要経費を引き、主人とも話し合い、その中から主人にお小遣いとして決まった金額を渡していました。結婚前はお金に関して何も言わなかった主人でしたが、段々と必要以上にお金を欲しがるようになりました。
夫のいう事を聞いていると生活が成り立たなくなるので、話し合おうと試みるのですが、そのたびに家から出て行きます。何とか話し合いの場を作るのですが、私が一方的に話すだけで主人は仕方なしにその場に居るといった様子でした。
そんなある日、家の購入の話が舞い込みました。持ち家というのは私の夢でもありましたし、主人も家を持つことはとても嬉しい様子でした。毎月の支払いは少し家賃より高くなりましたが、主人にも相談し、小遣いも値上げはできない事を伝えると快諾してくれました。同意の下での購入でしたし、必要以上の小遣いを渡し、浪費するだけなら家の購入に充てた方が財産としての投資なので有益だと思いましたし、主人も小遣いの要求は程なく収まりました。
希望が叶い平和な生活が訪れたはずが、再び振り回される人生へ
主人も落ち着き、やっと落ち着いき平和に過ごせると思っていましたが、それも束の間、今度は主人の浮気が発覚しました。
相手の人は職場の若いパート職員で既婚者でした。このことは相手の旦那さんの知るところとなり、当然のことですが激怒され、慰謝料を要求されます。
私も被害者の立場でしたが、この状況で私の気持ちなど誰も耳を傾ける余裕などなく、この問題を速く解決したくて自分の気持ちは置いておいて、相手の主人と話し、慰謝料を支払うというとになりました。
まとまったお金を持ち合わせていなかった私たちは、主人名義でノンバンクから借金をして支払うことになりました。
不倫に決着がつき、やり直したはずが止まらない問題
主人はノンバンクからの借金を返済するため、かいしゃに通いながらアルバイトをして少しずつ返済をしようとしていました。しかし後にわかったのですが、そのカードでお金を借り続け、散財していました。高価なパソコンを購入するなど「おかしいな…」とさすがに私も思い、問いかけますが「うるさいな。」と無視するばかりで何も話そうとしません。やっと口を開いた頃には100万円の借金を抱えていました。主人はノンバンクの返済日が来ると使い過ぎたお金はアルバイトではまかなえず他のノンバンクのカードを作り、また借金を繰り返して雪だるま式に借金が膨れあがっていました。
現実がやっとわかり、でも打つ手はなく、父に相談するのは嫌だったのですが、どうしょうもなくて相談することにしました。すると父はその100万円を肩代わりしてくれることになりました。
そして再び平穏な日を送れると思っていたのですが、その後、主人は知らないうちにノンバンクで借金を繰り返し、再び100万円の借金を作っていました。
私はもう主人は本気で変わろうとしていないことに気付き、別れることにしました。
絶対に幸せになりたい!
子供のころから「幸せになりたい」と思って行動してきたはずなのに幸せになれない…
一生懸命に生きて来たし、父の教えの通りに真面目に言う事を聞いてきた。
でも、その考え方じゃ幸せになれないんだ…そう思いました。遅すぎるかも知れないけどやっと気づきました。
そして「絶対に幸せになりたい!」そう強く思った私は生き方を変える決意をしました。でも、どうやって変えたらいいのか分かりませんでしたが、それまで興味があった心理学、成功哲学、自己啓発本を貪るように読み、講座にも通い学びを深めていきました。そして、そこで学んだスキルを15年間、勤務している介護現場で実験と検証を沢山繰り返し、スーパーコンピューターと言われる潜在意識(自分の感性)を信じて、「この人の話を聞きたい」と思う方のセッションを受け、自分と向き合い、内面が熟し成長していきました。
そして今では、以前の悪循環のループから完全に離れ、家族や職場などの生活環境は自由にノビノビと楽しく、安心感の中で生活し、心から幸せを実感しています。
幸せになる第1歩は、まず「あるがままの私」を受け入れること
「幸せになる」のは旅をすることと同じと上記に記しました。
それは「自分はどうしたい(なりたい)か?」を知っているということ。そして、対局の「自分はどんなことが嫌なのか?」も分かっていることです。幸せになるというゴールは自分の嫌なことやもの、どうしたい(なりたい)?を知り、それに基づいた選択をしていくことだからです。
あくまでも誰かの目線ではなく自分目線で、自分はどうありたいか?が大切です。
そしてもう一つ、肝になることは「良いと思える私」も「悪いと思う私」も全て「あるがままの私」を受け入れるということですよ。
私は自分を変えると決めて現在のように変化するまで時間がかかり過ぎました。苦しんだ時間が全て無駄だとは思いませんが、苦しみは当然短い方が良いに決まっています。
「本気で幸せになりたい!」そう思うあなたには、私のように遠周りする必要など全くありません。一日でも早く現在の私のように幸せを実感できる人生を歩んで頂きたいと想っています。
心理学を学び、潜在意識をベースに15年間務めた介護現場で生身の対人援助を行いながら、実験と検証を繰り返し。「本当の幸せを掴む」フィーリングメゾットを考案しました。
「本気で幸せになりたい」と思うあなたに、お会いできる日を楽しみにしております。
あおき まゆ